ひとは独りかもしれない
みなさんこんばんは。
くろのです。
くろのは普段、
何を考えてるのかわからない、
価値観が独特すぎて理解できないと言われます。
また、主に恋愛観などもこの記事では書くかと思いますが、
くろのなりに真面目に考えて人生の中から導き出した価値観なので すが、
世間とずれているため誤解をされがちです。
なので、 ここにはとっさに人に説明しづらい自分の価値観を書き溜めて行こ うと思います。
せめてあなたには伝わればよいのですが。。。
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ふとしたときに、不意に感じることがあります。
くろのには友達が多くいるし、
どちらかと言うとコミュ力も高い方だし、
SNSでは友達が多くなりすぎて「誰だっけこの人…」となるので、
決して友達が少なくはないのですが、
それでもふとしたときに思います。
「ひとはどこまでいっても独りかもしれない」
勿論、その瞬間瞬間にはまわりに人はいます。
でもその仲間や友達は、
自分がその集団にいるから「いまそのとき」に仲間や友達なのであって、
学校を卒業したり、転職をすると、
すぐにではないにせよ徐々に疎遠になって、
次第に話が合わなくなっていきます。
くろのにとって特別大切な存在である配偶者であっても、
くろのがこうして悩んでいる時も、
「明日の仕事があるから」と言って素知らぬ顔で眠りこけたりします。
もちろん、配偶者には配偶者なりの考えや生活があるし、
先ほど述べた時々しか会わなくなった友達たちも、
それなりにまあまあのパーセンテージでくろのを理解してくれてるとは思うのですが。
それでも、くろのの感覚を、
いまこの瞬間の不意の理解者が欲しい感や、
人生における野望や、どんな風に子供の親になっていきたいか、
過去をどう思っているか。
完全に自分の感覚として100%理解できるのはくろのだけだし、
言葉を尽くしても100%わかるのは自分以外にはいないと感じるのです。
そんなときに不意に寂しくなったりします。
なんだか大層な言い回しをしましたが、
大層なことは言っていません。
「ひとはどこまで行っても独りだ」と不意に感じて、
ふとしたときに寂しくなるというそれだけです。笑
仕事の仲間や家族もいるのに、
むしろこの日本中に、時には海外にも友達がいるのに、
どうしてそう感じるのでしょうね。
でも僕のこの感覚が、
出来るだけすべての人間関係を大切にしたいという、
動機になっているとは思います。。。